映画「運び屋」を観た!
映画館で、クリント・イーストウッドが監督・主演の映画「運び屋」を観ました。
クリント・イーストウッド監督が、10年ぶりに監督&主演を務める作品は10年ぶり。
これは見なくっちゃとずっと気になっていた映画です。
映画「運び屋」の予告はかなりサスペンス色の強いものだった!!
だから、クリント・イーストウッドの88歳の鋭くかっこいい姿を期待していたら、穏やかな映画でした。
おばさんの採点は、★が4つ!
クリント・イーストウッドのセンスのよさとか、職人芸、それから彼の映画に対しての愛を感じられて脱帽の名作でした。
若い人の評価は、ちょっと分からないけれど少なくとも私の年代の人たちは好きな映画でしょう!
なんと言ってもクリント・イーストウッド、88才で現役はすごい!
私のクリント・イーストウッドのイメージは、やっぱり西部劇!
ああ、西部劇のイメージなんて、若い人は、想像できないだろうね。
今日は、映画好きのおばさんが、クリント・イーストウッドについてお話ししたいと思います。
映画「運び屋」についてのあらすじやキャストについては、今日は触れませんので、どんなあらすじなのか知りたい方は、私の好きな映画ブログを読めばいいでしょう。
監督としてだけでなく、俳優としての素晴らしさを堪能することができました。
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クリント・イーストウッドClint Eastwoodの歴史!
クリント・イーストウッドの歴史を紐解いていきたいと思います。
クリント・イーストウッド/ Clint Eastwood
生年月日:1930年5月31日
出生地:アメリカ カリフォルニア州サンフランシスコ
イーストウッドファンのおばさんとしてはおじいさんのイメージしか持っていない若者たちにもカッコ良かったクリント・イーストウッドを知ってもらいたい!!
クリント・イーストウッドの若い頃:初めての演技は中学時代⁉
1930年カルフォルニア州サンフランシスコで生まれたクリント・イーストウッド。
当時は世界恐慌初期。
1930年と言えば、昭和5年!ああ、うちの母とおんなじくらいだ!
クリント・イーストウッドの家も決して裕福ではなく、両親が子供たちを食べさせるのに苦労していました。
そんなクリント・イーストウッドが初めて演技をしたのは中学校の劇だったのです。
クリント・イーストウッドは劇の主役に抜擢されるのですが、練習をはじめてみると自分の下手くそな演技が恥ずかしくてたまりませんでした。
なんとか舞台に立ち本番を乗り切ったのですが、もう二度とやらないと思ったのです。
しかし大学時代に、演劇クラスに通い始めることになります。
その理由は女の子たちがたくさんいるからだったんだとか。
そしてクリント・イーストウッドは徐々に俳優としての実力を開花させていきます。
そして1959年にテレビ映画「ローハイド」(1959~1965年)のオーディション合格し、本格的な俳優活動がスタートしたのです。
クリント・イーストウッド29歳の時ですね。
まあ、この「ローハイド」を見たことあるって言うマニアックな人いないだろうね。
クリント・イーストウッドの若い頃:30代!1960年代
「ローハイド」でブレイクしたクリント・イーストウッドでしたが、マンネリ化したドラマに若干飽きてきていました。
そこへ「荒野の用心棒」(1964年)の話が舞い込みます。
そしてこの作品が世界的に大ヒット!
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クリント・イーストウッドの一大出世作となりました。
今でもよく目にする汚れたポンチョ、無精ひげに短い葉巻をくわえたクリント・イーストウッドの姿はこの作品のものです。
寡黙でクールな用心棒のキャラクターがハマり役でした。
その後も「夕陽のガンマン」(1965年)「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」(1966年)など、西部劇をヒットさせる人気スターとなっていきます。
クリント・イーストウッドの渋いウェスタン姿に、女性も男性も魅了されました。
今見ても本当にしびれる姿ですね。
こんな顔で見つめられたら、何も言わずに、ついて行ってしまいそう!
クリント・イーストウッドの若い頃:40代!1970年代~1980年代
さらに1970年代には、クリント・イーストウッド大人気シリーズが公開されます。
「ダーティハリー」シリーズです。
1作目は1971年に公開され大ヒット。
型破りの刑事ハリー・キャラハンは大人気キャラクターとなります。
若い人たちは、西部劇のクリント・イーストウッドは知らないけれど、この「ダーティハリー」の頃からのクリント・イーストウッドなら知っているかも知れませんね。
「ダーティハリー」シリーズは、5作目まで公開されるヒットシリーズとなりました。
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クリント・イーストウッド:60代 1990年代
普通、あの人の若い頃って言うと20代、30代のことを言うのだけれど、イーストウッドは今、88才。
だから、60代も入れちゃいましょうね。
アクションスターとして不動の人気を誇るクリント・イーストウッド。
1990年代には悲願のオスカーを手にすることになります。
監督と主演を務めた「許されざる者」(1992年)。
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この作品は、アカデミー賞で作品賞、監督賞、助演男優賞、編集賞を受賞しました。
クリント・イーストウッド62才の時です。
モーガン・フリーマン共演で、の西部劇の名作です。
クリント・イーストウッドが西部劇にカンバック!
クリント・イーストウッドの西部劇が好きだったおばさん大喜びでした!
「ダーティハリー」の刑事もいいけれど、やっぱりクリント・イーストウッドと言えば西部劇。
それも中年の魅力溢れる
その後も「パーフェクトワールド」(1992年)「マディソン郡の橋」(1995年)「真夜中のサバナ」(1997年)など数多くの映画を監督し、高く評価されるようになります。
クリント・イーストウッドの描くヒューマンドラマは温かみがあり心に響くものばかりです。
あ、あ「マディソン郡の橋」(1995年)はダメ!
クリント・イーストウッドの恋愛ものは、イメージに合わなかった!
でもとにかく、クリント・イーストウッドは、俳優よりも名監督として知られるようになっていきます。
クリント・イーストウッド:2000年以降
74歳になったクリント・イーストウッドは主演と監督を務めた「ミリオンダラー・ベイビー」で2度目のアカデミー賞作品賞、監督賞を受賞しました。
この映画は、とにかくびっくりしたね!
ヒラリー・スワンクにもびっくりだけど、監督としてのクリント・イーストウッドの才能にもびっくりしました。
主演男優賞にノミネートされたクリント・イーストウッドは受賞を逃しましたが、ヒラリー・スワンクは見事主演女優賞を受賞しました。
さらに「グラン・トリノ」(2008年)「J・エドガー」(2011年)「アメリカン・スナイパー」(2014年)と名作を作り続け、生ける伝説として唯一無二の存在となっていきます。
そして80代になっても第一線で活躍を続けています。
引退をほのめかしたこともありますが、まだまだその日はやってこないでしょう。
いつまでも映画ファンを楽しませてほしいですね。
クリント・イーストウッドのモテぶりがすごい!
映画「運び屋」では90歳でも美女二人を相手にするスーパーおじいちゃんを演じたクリント・イーストウッド。
クリント・イーストウッドは80代になっても新恋人の噂が絶えないプレイボーイです。
確かに80代とは思えないかっこよさがありますよね。
クリント・イーストウッドのモテぶりは本当にすごいです。
5人との女性の間に7人の子供がいて、さらに子供達と同年代の孫たちまでいるのです。
1人目の妻は、1953年に結婚したマギー・ジョンスン。
1985年に離婚しています。息子と娘が一人ずつ生まれています。
2人目の妻は、1996年に結婚したディナ・ルイス。
娘が一人生まれています。
2014年に結婚し、約23億円を支払ったと言われています。
クリント・イーストウッドの元妻はこのお二人だけですが、さらに交際相手3人との間にも子供をもうけています。
ロクサーヌ・チュニスとの間に娘が一人生まれています。
ロクサーヌ・チュニスは女優でダンサーです。
1963年から14年間交際が続きました。
ジャセリン・リーヴスとの間に息子と娘が一人ずつ生まれています。
ジョセリン・リーヴスは客室乗務員でした。
フランシス・フィッシャーとの間には娘が一人生まれています。
フランシス・フィッシャーは「タイタニック」(1997年)などで知られる女優さんですね。
ローズのお母さん役と言えば思い出すでしょう。
ちなみに、ジョセリン・リーヴスとの間に生まれたスコット・リーブスは、現在俳優として活躍しています。
スコット・イーストウッドと改名して現在人気急上昇中です。
お父さん似の男前だね。まさにおばさんのタイプ!
「グラン・トリノ」(2008年)「インビクタス/負けざる者たち」(2009年)のクリント・イーストウッド作品に脇役で出演していました。
映画「スクランブル」にも出演していました。
最近、おばさんが注目しているハンサム俳優です!
名優であり名監督であるクリント・イーストウッドの歴史、さらに華やかな女性遍歴をご紹介してきました。
それにしても、クリント・イーストウッドの子供たちって、皆で集まることあるのでしょうか?
まあ、ないでしょうね!
クリント・イーストウッド、これからもまだまだ映画もプライベートもパワフルに活躍してほしいですね。
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